〜少林寺拳法出身の私とFSA拳真館〜 |
私は大学時代に体育会少林寺拳法部に入門し、四年間修練を重ね中拳士参段位を取得しました。卒業後も拳法への想いが忘れられず、会社を辞めて師の近くへ戻り教えを請いました。しかし、師は連盟から姿を消し、そして二度と会うことは赦されなくなりました。私は、それでも連盟に残り、道院に残り、少林寺を続けようと思いましたが、当時の少林寺拳法連盟の現状を憂い辞めてしまいました。もう二度と少林寺には戻るまい、と思いました。
そして、―社会人として―武道ファンとして、格闘技や武術の雑誌の書籍を読んだりする生活に留まっていましたが、やはり、武術への想いは捨てきれずにいました。そして、現状の少林寺を憂いを持ち辞めてしまった後も、やはり、開祖の思想は素晴らしいものであり、技術体系は超実践的かつ実戦的であるということを信じていました。巷で「少林寺は弱い」などと言われるのはとても腹が立ちました。しかし、私が見る限りの強い少林寺というものは段々と色褪せていくばかりでした…。いろいろな問題点があると思いますが、少林寺には開祖の素晴らしい思想と技術を擁しながら、それを具現化体言化できる要素に乏しく、実際には有段者といえど疑問符をつけざるを得ない人材が多いことでした。理屈はいろいろあってもいざとなれば「いや、うちは強さを求めるものではないから…」が常套句でした。確かに武道武術といえば、単に強さを求めるものではありません。それは少林寺拳法に限ったものではありません。しかし、何かあったら使えない技術、何もできない人間を開祖が育てたかったとは思えません。その点については、開祖の御言葉を拝借すれば「愛なき力は暴力、されど力なき愛は無力」といったところでしよう。私の知っている限りでも、真に思想を持ち、真に強くありたいと願うものは他流派に出奔したり、または、浪人になったりしています。
FSA拳真館についてはその頃からずっと興味を持っていました。羽山館長のことも内田先生のことも佐藤先生のことも存じていました。拳真館主宰の目突き金的有りのアブソリュート大会を見たとき
に率直にすごいと思いました。
ここには進化した強い少林寺がある、と。それもそう、羽山館長も少林寺拳法出身で以前は道院長までされていたということ。それがきっかけでずっと興味を持っていました。その頃の空手界は、空手界の雄、極真会館がK‐1に挑戦し、代表選手たちが次々とマットに倒れていった時代でした。「どうして素手で戦わないんだ」と悔しく思って観ていました。これが契機となって、空手の威信は音を立てて崩れていったのです。素人は空手といえば、「極真」でその「極真」が敗れたのだから「空手」は弱い、と。一般人の感覚というのはそれぐらいの認識なのだと思います。私は、拳法出身でしたが徒手空拳の意味では空手であるのでとても残念に思い、また、拳真館に大きな期待を寄せていました。
仕事もひと段落し、私もまた武術を修行したいと思い、長いブランクを空けてはしまいましたが、いよいよ拳真館の門をたたくことにしました。そこには私の想像を超える技術がありました。羽山館長の突き蹴り、関節技、投げ…「こんな道院があれば少林寺辞めなかったろうな」と率直に思いました。
そして即座に「連盟には収まりきらなかったんだな…」と理解しました。館長は紛れもない達人ですが、物腰は大変柔らかく、拳真館は空手団体にしては品がよく、何か古き良き少林寺を洗練したというような雰囲気です。これもひとえに羽山館長のお人柄かなとも思います。そして、強い少林寺がここにはあると思います。私のように少林寺を修め、身に付けた人間は他団体に入れば普通はすべてを捨てなければならないところをここではそれが活かせます。そして、少林寺にはない技術も身に付けられます。もちろん少林寺の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」大事にする思想も活きています。これほど理想的な道場は他にないと思います。ここで、私のように以前少林寺を修行し、諦めて辞めてしまった人たちと練習できたらな、とも思います。私はここで諦めかけた修行の続きをしようと思います。そして、自分のためにも他人のためにももっと強くなり、理想郷つまりより良い社会を築いていきたいと思います。
平岩一貴
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