F.S.A.拳真館 倒せる空手の技術と立ち関節技
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 Fighter's VOICE


〜創生期の頃 part1/安部雄大〜


  新宿駅東口の二光が、スタジオ『アルタ』に変わった頃、私は大学拳法部の主将を勤めていました。応援団の団長もやっていましたが、団の実務は副団にまかせ大学名をテーピングで隠し、歌舞伎町で喧嘩ばかりやらかしていました。
 その頃しばしば、阿佐ケ谷駅近くの杉並道院に出稽古に通っていて、以前より羽山館長の噂は耳にしていました。
『安部君、羽山さんを知らないの。そりゃあ、もぐりだよ。まあ一度彼の蹴りを見てごらん。彼は、どこかの拳法道場に所属しているけど、今日練習に来るよ。』
道院長はそういうと、大人の方の稽古を私にたのみ、子供の稽古を始めました。
 当時、杉並道院には東洋が生んだ世界の巨人?こと永石君や彼のルームメイトの西薗君が入門し活気づいていました。永石君が拳法を習い始めたのを鼻で笑い、柔道有段者の西薗君は勝負を挑み、肪骨を折られてのいわくつきの入門です。ともかく稽古は荒かったのを思い出します。
 まだ見ぬ羽山館長のイメージはゴリラのような山男を想像していたので実際来られた姿はトレンチコートに身をつつんだビジネスマン風のいでたちが第一印象でした。  蹴りには自信があったので、蹴り中心の稽古メニューをやったのですが、明らかに羽山館長の蹴りは違っていました。拳法の蹴りを通り越した殺人的な破壊力があり、ひとつひとつの体の使い方が違っていました。
 練習後、羽山館長に今まで思っていた技の疑問を尋ねると即座に、理路整然と体の使い方、仕組みを実例を出し、答えてくれました。それは実際、いかにすれば人を倒せるか稽古している者でなければわからない内容ですが、今までやってきた事を根底から考え直さなければならないようなことでした。
 拳法三段だった私は、今までやってきたことを白紙に戻してまた一からやり直すか、このままぬるま湯の指導員でいるか迷いましたが、本当に強くなりたいのなら、この人に教えを請うしかないと思いました。
 その帰り道、羽山館長は
『日曜日、新宿で個人的に練習しているから一度来てみないか。』
と勧めて頂きました。すぐさま『はい』と答えたいとこでしたが、脳裏にハードな練習でボコボコにされちゃうんじゃないかなぁと思い
『前向きに考えます』
と言ってしまいました。
 当時、伊勢丹デパートの靖国通りの対面のビルの一室にバレエスタジオがあり、そこを日曜日の夕方二時間ばかり借りていたそうです。
 二週後の日曜日、永石君、西薗君を連れ立って羽山館長の練習に参加しました。どこかの拳法道場の門下生も二人くらい来ていました。手とり足とり習い柔軟だけで一時間以上もかかりました。そのあとローキックなどあっというまに二時間など過ぎてしまいます。そんな具合に羽山館長との日曜日の稽古が数か月続き、よく新宿駅の階段を足を引きずって帰っていました。
 その後色々な各道場の先生方の勧めで羽山館長は高円寺に拳法の道場を開くことになったのです。すぐに私と永石君、西薗君は正式に羽山館畏の門下生になり、胸に高円寺のワッペンを誇らしげに彼女に付けてもらったものです。2〜3人での稽古が数か月続きましたが、一生のうち一番充実した稽古でした。
 間もなく西荻のゴロツキ二人組の金子君、水谷君が人門し一段と荒くれ集団の様相が強くなりました。その頃ついに、第一回目の地獄の合宿がありました。つづく・・・


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