F.S.A.拳真館 倒せる空手の技術と立ち関節技
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〜創生期の頃 part2/西薗成人(茶帯最強の名の下に)〜


 安部先輩(現栃木支部長)より続きはお前だ!!との指名により第1回目合宿からの事を少し書きたいと思います。 拳真館第1回と第2回目の合宿は安部先輩・永石・金子さん・水谷さんと東海地方の寿司屋さんの別館宴会場でやりました。 地元に有名な強い道場が有り、当時まだ黒帯返還前の安部先輩がそこの館長に「帯、俺のと違って年季入ってますね」といきなりおちょくり硬化した雰囲気から始まり、そこのローキック練習用タイヤを尻目に蹴りの練習始めると急に態度がまるく成ったのが印象的でした。

  最初の頃の合宿は飲み会とか無く夜も練習していましたが、夜再度挨拶にそこの道場がいらした時は夜の練習が無くなり妙に喜んだ覚えがあります。 当時の合宿は朝6時から夜の12時過ぎまでひたすら稽古・食事休憩・稽古……そして稽古…、左足の裏の皮がずり剥けになり、ガチンコ全盛期だった事もあり全身打ち身だらけで薬屋と宿舎と練習場の寿司屋さんを往復した事しか記憶にありません。 宿舎と稽古場を金子さんの車での移動中は何故かいつもアンルイスの「六本木心中」という曲をかけて気合を入れていたので、暫く戻ってからもこの歌を聴くと戦闘モードに成っていました。その金子さん(現多摩地区本部長)は、足の甲にヒビが入ってもその足で蹴り続けた為に完全に骨折し、歩行不能となってしまいました。 当時は倒す事と最強にこだわり、スパーリングもガチンコで寿司屋さんの壁やガラスを割りながらも相手の逃げ場を無くしてまでして倒してました。この時に勝機であれば嵩に着て詰める事を身に着けたと思います。

 この合宿が茶帯の昇級の際、5人抜組手を兼ねていて安部先輩も拳法三段の黒帯を返上して茶帯となり茶帯最強を合言葉に以降の合宿時の他道場との練習・当時の新宿や恵比寿・高円寺に来た有段者や腕自慢に対して茶帯が組手の相手をして倒すが慣例だったと思います。 特に態度が失礼な輩に対しては、通常の練習は無しで最初からスパーリングと成り羽山館長の「軽くね」から「GO!!」の口調が強く変わった時は"倒していい!"の合図でボコボコにやられ、その後二度と来ない人が何人もいたと記憶しています。その度に拳真館の強さを実感したものです。  通常は、わずか数人での稽古なので稽古日に行った時、自分と館長の二人しかいない時が暫くあり「やべー」と思った時は帰るに帰れず。ましては館長がフルコンタクト空手の大会を研究しに行った日などは気づいた時は床にぶっ倒されてました。 でも道場の練習・食事・ウエートトレーニング・休養が、社会人だったにかかわらず生活の中心に成っていて人生の生き方を学んだ時期だったと思います。 (安部先輩が医大生・金子さんが歯科医大生、他は社会人) 道場生も本田君等が入門し次第に増えて来て、高円寺中学体育館での練習を中学生の内田(現総本部師範代)と高校生の中川(現総本部師範代)等が入門したのもこの頃でしたし、館長も結婚前で一人住まいで、そのアパートの前のブロック塀の穴からアパートの壁の穴を辿ると館長の部屋に行けたのもこの頃です。(記憶が確かであれば、その穴は館長が酔払って正拳で開けた穴です。後々自分がブロック割りをするとは思いませんでしたが) 本田君の後に当時やはり拳法三段?の吉田さん(現福岡支部長)が稽古を見に来て、「自分より弱い先輩は"さん"付けしません。」といきなり後々の稽古でKOされまくる事になる暴言を吐きました。元岡山大学拳法部出身の吉田さんの発言からとんでもない事態に発展する次回パート3へつづく…


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